御言葉メール 58
2005年2月19日
「こういうわけで、私はひざをかがめて、天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。」(エペソ3の14−16)
私達が、神を信じる、という時、自分の願いがかなえられるという、信じた事の見返りを、精神的にも現実的にも暗黙のうちに期待しています。ここには神(の様なもの)と私達とは何の関係もなく、ただ私達の欲望があるだけです。
多分、人間はそれ以外に「信じる」という事をイメージできないでしょう。しかし聖書を読む時、そこで教えられる神は、私達に親としてご自分を現される神です。父なる神と子である人間の関係は、徹底して父を信頼し自分の思いを捨てて、父のお考えに従う関係です。
自分中心という罪を持つ人間にとって、父なる神に頼り、愛と赦しの中に生かされることほど安全な事はありません。即ち神を信じる、という事は、親子関係の中に入れられる事であって、自分の欲望を満たす手段ではないのです。
私達は信仰をいただく事によって、この神との交わりに入れられました。それは生活の全てにおいて、私達を強くし支えておられるのは、父なる神である事を知るためにほかなりません。
御言葉メール 58
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