金沢聖書バプテスト教会

金沢聖書バプテスト教会は、神の愛とキリストの贖いと聖霊の導きによって真の神様を礼拝する者の集まりです。あなたを心より歓迎します

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御言葉メール146

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御言葉メール146
2005年12月24日
「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられた」(ピリピ2の6,7)
先日、ある人とキリストについて話していた時、その方が「神はどうして人が困るような事をされるのか。人が喜ぶ事をしてくれるのが神ではないのか。」と言われました。未信者のほとんどの方がなされる質問です。
更にその方は、「神は愛なのだから、人間の幸せのためにしてくれるのが神ではないか。」と続けられました。この様な質問に共通している事は、神と人の関係を同等か、それ以下に考えて、自分のために何でもしてくれる便利で優秀な奴隷のように扱っているという事です。その様な方には、神様に仕えるという事など思いもよらないことでしょう。未信者であるならば当然の事なのです。
私たちもこの点で何か思い違いをしていないでしょうか。苦しい事や辛いこと、気に入らない事などがあった場合、「神は何をしているのか」と怒り出します。神のみ前に人とは、陶器師と陶器の関係、いやそれ以上の無限の隔たりがあります。その神様が、人となられたのです。これが、クリスマスです。人の思いを超えた神の謙りです。ですから私は、神に仕えれるのが驚くべき恵みの中にあると知るのです。

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