御言葉メール151
2006年1月11日
「私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。」(ローマ8の26)
私たちは祈れなくなったり、また何をどのように祈ってよいのか、わからなくなったりする事があります。深い挫折、考えてもいない悪い事態やショックな事がある時、失望落胆に加えて、これからどうなるのだろうか、という不安や恐れで頭が混乱してしまいます。
聖書も開けず祈りの言葉も出てこないでしょう。私もそういう経験の中で、上記のみことばによって慰めと同時に一つの事を教えられました。それは、この状態でいいのだ、という事です。これは、そういうところから抜け出す事こそ求めている事から考えると、矛盾のように思われるかもしれません。しかし見通しのつかない苦しい状態の中で、神(御霊)御自身が弱い私の代わりに苦しまれ、祈れない者のためにとりなして下さる
ーその事を覚えた時、私のこの状態の中にすら神は共におられる事を知った平安でした。自分で無理に何かをしなくもいい事、ただ言葉にならない呻きをも神は御存知でおられる事を、みことばから確認する事を教えられたのです。主なる神は必ず、時と思いを備えられます。どうぞ、みことばがあなたの今の苦しみを支えますように。
御言葉メール151
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