御言葉メール222
2006年10月11日
「私は、あなたのそむきの罪を雲のように、あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。わたしに帰れ。私は、あなたを贖ったからだ。」(イザヤ44の22)
私は子供を怒る時、「勝手にしなさい」、「もうお母さんは知らないからね」などと言っては、ずいぶん子供の心を萎縮させてしまったのではないかと反省することしきりです。
私はそういう自分の姿に、忍耐のなさは勿論ですが高慢な自分の姿を見せつけられます。それは神に逆らい続けるイスラエルに対して、神様がとられる態度とは、あまりにかけ離れたものです。偶像に頼り神を無視するイスラエルを突き放したりするどころか、「その罪は赦すから、わたしのところに帰りなさい」と言ってくださる、神を無視した結果自分が高慢である事さえ知らないで生きている者を「もう知らない」と言って見棄てたりされません。
それどころか、どこまでもどこまでも、神のところに帰るように追いかけて下さる様です。謙遜とはこういう姿のことではないでしょうか。全ての支配者である神の謙遜を知る時、私は自分が恥ずかしくなります。神様の謙遜を教えて下さった主が、私をもそのように変えてくださいますように。
御言葉メール222
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