御言葉メール242
2006年12月20日
「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。」ピリピ2の6,7
フイリップ・ヤンシーというジャーナリストが、「スターと仕える人」というエッセイの中で、ヘンリー・ナーウェンという人を取り上げています。ナーウェンはハーバード大学教授というキャリアの頂点にいた時、その職を投げ打ち、ある共同体に移り住み、そこで知的障害者アダムの世話をする仕事に就きます。
痛みと自らを恥じながら、ナーウェンはアダムから、高みに至る道は下へと向かう道だという事を学んでいきます。彼は学問とキリスト者としての働きにおいて、評価と尊敬を受けていました。しかしそこには、自分を成功へと駆り立てる暴力的なライバル意識と競争心だけがあり、この世のものではない平安、はなかったのです。
神、という高みに向かう道は、学問といえども成功を追い求める心の中には無く、役に立たないと見なされる一人の人の傍らに居続けることによって彼にもたらされたのです。全能の神が欲深い人間に仕えるために下って来られたクリスマス。私達も仕える恵みを求めるクリスマスとなります様に。
御言葉メール242
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