御言葉メール241
2006年12月16日
「もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」(ヨシュア24の15 )
私は、斎藤家の主人であるはずである。しかし、ここにいて居心地が良いのか悪いのか自分でも分からない。
その原因は私にあるだろう。しかし、私は自分でそれを認めたくない。私には分かっている。私自身がいたって気ままだからであろう。きっと私の家族は、私以上に戸惑っているのかもしれない。しかしそんな家庭が、また私にとって掛け替えのない場所なのである。そして私たち家族にとって、もう一つ掛け替えのない場所がある。それが教会である。
時に教会は、私にとって辛い、苦しい場所になることもある。しかし、教会からどれほど多くの支援と励まし、交わりという恵みを頂いていることだろうか。またこの世の価値観から開放されホッとした一時を持つことができる場でもある。更に神に知られているので、私が自由に罪を犯すことから免れているのも事実である。
御言葉メール241
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