御言葉メール223
2006年10月14日
「自分の分を取って帰りなさい。ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。」(マタイ20の14)
この聖句は、ぶどう園で雇われた人の例え話の中の言葉です。雇い主は、朝早くから10時間近くも働く人と1デナリの約束をしました。しかしいよいよ賃金が支払われた時には、昼頃から雇われた人、午後3時頃雇われた人、又夕方5時頃雇われ一時間しか働けなかった人にも、みな同じ1デナリが支払われたのです。
そこで早朝から働いていた人が不平を言います。実際、このような取り扱いは、この世の中では通用しません。後からの人と賃金において差があってしかるべきです。それが当然なことです。そこで不公平だという主人に対する非難が起こります。しかし、1デナリの約束は果たされています。
誰も不平は言えません。当時のパリサイ人、律法学者たちは、自分たちと他の人々と比較して、自分達の方が優れているので神に近いと常に思っていました。しかしイエスは、上記のように例えで答えます。天国に入れられる主の恵みは、その人の功績や働きによりません。私たちこそは、全ての働きを恵みに対する感謝によってしたいものです。
御言葉メール223
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