御言葉メール239
2006年12月9日
「彼らは、そのようなことを行なえば、死罪に当たるという神の定めを知っていながら、それを行なっているだけでなく、それを行なう者に心から同意しているのです。」(ロマ1の32)
先日、日曜学校に来ている子どもが学校帰りに友達と話しているのを聞いて愕然としました。
その子は、友達が「10秒以内にほかの人にタッチしないとのろわれて地獄に落ちるよ」という友達の言葉に、「呪いはないけれど、裁かれて地獄に行くよ。本に書いてあったよ。」というのを聞いた私は、「日曜学校に来ているだけのことはある。さすが」と思いました。しかし次の「だけどね、それも嘘だけどね」の言葉に愕然としました。その時、私は私自身の心の中を見透かされた思いがしました。
私は、神が本当におられると言いながら、神が生きて私を支配し、導かれる方として畏れ、敬い、又助けて頂いている生き方を見せていなかったのでは、と。それは、私が神の嫌われる人の悪口や不品行な思いを恐れ気もなく言ったり、思ったり、平気でいるのではないだろうか。だから神の嫌われること本当に自分も嫌いうだけでなく、人がすることでも神様を畏(恐)れて嫌う生き方をしなければと思ったのでした。
御言葉メール239
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