御言葉メール298
2007年7月4日
「兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。」(ガラテヤ6の1)
正直であることと、自分の不快感を精一杯表すこととは、全く違います。そういう人は、隣人への批判を黙ってしまって置くことは決して出来ないでしょう。隣人の過ちを洗いざらい言い散らかし、誰彼構わずにあら捜しをします。
彼らの激しい非難は、相手を何とか言い負かし威圧したいからなのです。しかしその実、彼自身は本当に臆病で、いつも人から何か言われやしないかと、びくびくしているのです。ですから自分では正直だと正当化していても、怒りと敵を誤魔化しているだけです。自分の願っているところへ人々を押しやり、黙らせることが出来たとしても、ほとんど全てが、隣人を深く傷つけてしまうのです。彼には隣人を思いやる心も優しさも全く持ち合わせていません。
そして彼自身が、人としての自分の価値を引き下げているのです。では、隣人の過ちに対してどのように対処したらよいでしょうか。その時に心に留めておきたい聖句が冒頭の言葉です。
御言葉メール298
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