御言葉メール368
2008年3月5日
「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。」3(マタイ5の4)
この悲しみは、自分自身に対して絶望するだけではありません。この世に悪が蔓延していることに対して絶望し、悲しむことでもあります。しかしこの悲しみに望みがない時、人の心は、壊れてしまいます。あらゆることに(自分にも他の人にも社会にも)失望しているだけでは、人は生きて行けないのです。
キリスト教会は、そのような人たちに希望を指し示すことが出来る唯一の場所のはずです。何故なら教会は、人の評価や価値を、能力や生まれ(血筋)、学歴や富、功績によっては、決して測らないところのはずだからです。パウロという人は、今まで得だと思っていたり、誇りに思っていた学歴、社会的立場や地位をかえって損と思うというのです。何故なら彼を喜ばせているものが、それらとは全く関係の無いイエス・キリストが与えて下さる救いだからです。
キリスト者とは、神の一方的な愛によって、栄光に満ちたキリストの豊かさと喜びを信仰によって与えられているのです。ですから教会は、本当に悲しんでいる者にこの富の豊かさを提供して、慰めを与えることが出来る唯一の場所なのです。
御言葉メール368
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