御言葉メール370
2008年3月12日
「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。」4(マタイ5の4)
この悲しむ者とは、自分に対して、世に対して、勿論他の人に対して、何の期待するものがないと自覚している人のことです。悲しむ者とは、この世にあるすべの物に対して絶望していますが、イエス・キリストを信じる信仰によって、自分の罪が完全に贖われて救いを得ているという喜びを得ています。
このようにイエス・キリストに対して期待する所から出てくる望みと喜びは、この世に属さないものですから、この世のいかなる力、権力、知識によっても奪われることがないものです。次元が全く違うものなのです。ここに私たちが起たない限り、世を恐れ、人を恐れ、様々な誘惑に陥り、パウロのように自分の愛する弟子であるテモテに「キリスト・イエスのりっぱな兵士として、私と苦しみをともにしてください。」(Ⅱテモテ2の3)とはいえなかったことでしょう。
自分の困難や重荷、十字架だけでもしんどいのに他人の苦しみまで、負うという事は大変なことです。にも関わらすパウロは、自分と同じ苦しみを負ってほしいと願っているのです。それ程イエスに仕える価値はあるのです。
御言葉メール370
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