御言葉メール470
2009年4月8日
「あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。」(ルカ18の14)
このイエス様の取税人に対する言明は、本当に驚くべき内容です。同時に私は、このお言葉を現実の出来事の中で適用することの難しさを覚えました。人は、(本当は限定された理解しかないの)見える所と貢献度に従って、人を評価する思いがあります。
先日、突然ある姉妹を主は取られました。十年程前から関りのある方でしたが、病の為に礼拝を共にすることはほとんどありませんでした。その姉妹が天国に召されたのです。姉妹を直接的に知らない人がほとんどでした。姉妹の歩みは、様々な不安や戸惑いを内に抱えての歩みでした。ある意味で、決して模範的な信仰とは人には見えなかったでしょう。しかし姉妹は、いつも神に祈り、助けを求め、その心を神に向けておりました。
人の目には、小さく見えても神の御前にいつも出て悩み、苦しみ訴え、慰めを受けていました。姉妹は、神の前に大いに富み、神に愛された歩みだったと言えます。姉妹は、家の人に、「自分の葬儀は教会でして欲しい」と伝えていたようです。姉妹は、死を通して多くの人にその信仰を証したのでした。
御言葉メール470
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