御言葉メール525
2010年3月13日
「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(Ⅱコリ4の18)
先回の入院を通して、「病を負うとは」どういう事なのかを教えられた。「病を負う」という事は、自分の病の痛みや苦しみ、将来への不安があるという事は当然な事です。でもそれだけではないのです。こんなにも様々なことが気にかかるものかと驚いたのです。
私の心に、主治医、看護師、見舞いに来て下さる人、また同室になった人、この人たちの言葉やその言い方、素振り、態度が私に驚くほど大きく響いたのです。他人のあり方に、私がこんなに左右されるとは思いませんでした。
人のその様な姿に一喜一憂するだけでなく、自分の言った言葉、態度等が相手や周りの人たちの気を悪くさせたのではないか、何かあったのではないか。等々の「どうしようもないことを思ったり、考えたりするのです。その姿に驚いたのです。病を負う(得る)という事は、それらの副産物をも背負うという事でもあるらしい。目に見えるところを基礎とすることの危ういさを深く思わされた。
御言葉メール525
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