金沢聖書バプテスト教会

金沢聖書バプテスト教会は、神の愛とキリストの贖いと聖霊の導きによって真の神様を礼拝する者の集まりです。あなたを心より歓迎します

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御言葉メール547

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御言葉メール547
2010年9月11日
「私は自分の手の力でやった。私の知恵でやった。私は賢いからだ。」(イザヤ10の13)
冒頭の聖句は、アッシリヤの王の高慢な言葉として記されていますが、これこそ人間の思いを表した言葉ではないでしょうか。些細な事から大きな事に至るまで、小さい子供から老人まで、自分がこれだけの事をした、という思いは言葉に出す出さないは別として、人間の心に湧き上がる思いです。
人間の歴史は、その様に言ったり実際に行った人物を讃えてきました。しかし神は言われるのです。「斧はそれを使って切る人に向かって高ぶる事ができようか」斧がどれだけ太い木を切っても、それは斧を使う人の力です。高ぶりは、自分がただ用いられているだけの者であるという真実を見抜く事ができません。
私達は、自分が高ぶる者である事を、先ず知る事が出来ます様に。それを主が教えて下さる時、高慢からの回復が始まります。人は、主が教えてくださる程度に自分の罪を知る事ができます。自分の高慢が教えられるなら私達は幸いです。キリストを信じる時も、信じてからも、その気づきによって主に助けを求める事こそ回復の道です。

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