御言葉メール593
2011年8月6日
「イエスは彼らに言われた。『わたしだ。恐れることはない。』」(ヨハネ6の20)
不安な時、迷っている時に、「大丈夫だよ」、「心配しないで」などと声をかけられると、納得できる根拠がたとえ明白になっていなかったとしても、ホッとする経験をもたれた方は私一人ではないと思います。その時は問題の解決というよりも、その人の心に寄り添う、という事に意味がある様に思います。
イエス様は私達に「恐れるな」と言われる。人間は皆が不安や恐怖を抱え込んでいます。人の気持ちがわかっても、他人に確かな安心を与える事は基本的にはできませんが、イエス様は違います。不安と恐怖、迷いの中にある時、そのただ中に実はイエス様が共に居てくださる。私達の罪や過ちがどの様に悲惨な結果を生み出しているかを、イエス様はよく御存じです。
罪を赦されると同時に、神が共に居てくださる人生が始まる。闇と嵐が吹きすさぶ湖上の舟で、イエス様が水の上を歩いてこられるのを見たお弟子さんの恐怖は想像に難くありません。でもイエス様は、「恐れるな」と言って舟に乗ってくださる。イエス様は私達にも同じ様に関わってくださいます