御言葉メール601
2011年10月1日
「あなたがわたしに行わせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました。」(ヨハネ17の4)
私達は自分の自由と権利を主張できる社会に生きています。仕事をすれば、それに見合うお金を請求できる。事故にあえば損害賠償を請求できる。これらはとても大切な制度です。
ところがその様な社会で生きている私自身は、フト気がつくと、損をしない様にとか、受けるべき権利は受けて当然、といった考えが基本的人権の社会保障の枠に留まらず、生活の全ての人間関係や働きにまで及んでいるのではないか、と恐ろしく感じる時があります。特にイエスキリストの生き様と語られた言葉の動機を知る度に、私自身の動機が探られます。イエスキリストは神の栄光のために生きられた。
私自身の動機は自分の利益、自由とあくまでも自分に固執しますが、キリストは神の栄光の為に、どんな侮辱も恥も進んで受けられて十字架刑に向われる。それによって自分の為に、という動機しか持たない者が、神の栄光の為、という動機を持つ者に変えられました。それはまた権利のみ求める自分の姿を浮き彫りにする事でもあるのです。