御言葉メール608
2011年11月19日
「主がヨセフと共におられたので・・・」(創世記32の2)
一人のキリスト者の生涯を、伝記や作品などで辿ると、自分の身近にその人を感じられると同時に、その人の背後で人生を導かれている神ご自が浮かび上がってくる、恵まれた時を過ごす事があります。旧約聖書のヨセフの人生などは私にとってその一つです。ヨセフは父親から他の兄弟より愛されます。その為に兄弟達から憎まれ殺されそうになるのですが、結局エジプトに売られていく。
また奴隷として仕えていた役人の妻の誘惑を退けた為にぬれぎぬを着せられて、監獄に入れられる。もし私がそんな目に遭うなら、怒りに震え神を呪い、自分自身が人を憎む者になってしまうでしょう。この様にして自分自身も罪を犯していく結果になります。しかしヨセフは、その様な中で神を信頼しながら誠実に与えられた仕事をこなしていく。
そしてエジプト王パロから、王の次の位に任じられていく。ヨセフの生涯は、人の悪意や悪だくみに神は何もされないのではなく、力のない方でもなく、むしろそれらすら祝福のために用いられる方であるとわかります。ヨセフと共におられた主が私達と共におられます。