御言葉メール635
2012年6月2日
「あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって・・・」(エペソ1の18)
ある学び会で、「何故、信じたクリスチャンが聖書や他の本を使って学ぶ必要があるのか」と質問されました。確かにそうです。聖書を学んでイエスを神として信じる。普通に考えると、それができると目的が達成した様に思います。
ところが聖書信仰は、信じた時が明確なスタートになります。そして週の初めに神を礼拝する。キリスト者が自分中心の考えを指摘され、悔い改めながらキリストに従った生活をしようとする時、いつも聖書の言葉と教えに聞かなければなりません。私達の内側からは、どんなに考え抜いても出てこない真理だからです。その礼拝を中心にして、日々の家庭礼拝、個人のデボーションをするなら神の御心を更に知らされるでしょう。
また集会や学び会を通して、聖書や神について教えられる時、その知識や交わりが自分の知らない自分の罪を暴いたり、悩みの時、励ましと満たしを与えてくれる。この様にしてキリスト者生活は、聖書を通して神を知る事にかかっているのです。心の目がはっきり開かれて、神のあふれる恵みを見せていただきたいと切に願う者です。