御言葉メール722
2014年3月22日(記辻嵐桂子)
「神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。」(伝道者の書3章11節)
先々週祖母が急逝した。身内の遺骨を拾うのは4度目であったが、炉から出され変わり果てた姿を目前に愕然とさせられる。肉体がちりに過ぎないことを身につまされる時である。魂の不滅を信じて弔いの儀式が連面と行われる。故人への愛情の証か、或いは義務を果たしているということか。
しかし、クリスチャンはそれらの儀式が空虚なものだと知っている。福音を受け入れずに逝った家族を送る時、責めと悔い以外何があるだろう。何処に慰めを見出だせばいいのだろう。
ただこれだけは言える。命の源である神は、84年という祖母の生涯に私の知り得ない多くの苦難と喜びを与えられた。その魂をお取り扱うのもまた、神である。
「ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。」(伝道者の書12章7節)