御言葉メール768
2015年2月21日(記:辻嵐桂子)
「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」
「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」(マタイの福音書22章37節、39節)
もっとも大切な戒めは何かとの問いに、イエスは律法全体を要約して、このふたつのことを述べられた。
日曜毎に教会に行き、礼拝を守り、十一と他の献金を捧げ、できる範囲ではあるが奉仕もし、人には親切に接するように務め、自分はクリスチャンとしてそれなりに、まあまあよくやっている方だ(パリサイ人の祈りみたいだ)。
上記の御言葉はそういった考えの一切を払拭し、自分が、全く神の要求を満たしていない者だということを、改めて突きつける。私は、神が要求するように神を愛していないし、人も愛せていない。
律法は、違反を示すために付け加えられたもので、私たちをキリストに導くための養育係となったと記されているが(ガラテヤ3章)、その通りである。
神が私たちに求める『義』がどんなものであるかを知るなら、イエス・キリストの十字架の贖いを受ける以外に、私たちが神の御前に赦される方法は何もないということを、思い知らされるのである。
「だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。」(ローマ人への手紙7章24ー25節)