御言葉メール921
2018年2月24日(記:辻嵐桂子)
不正な裁判をしてはならない。弱い者におもねり、また強い者にへつらってはならない。あなたの隣人を正しくさばかなければならない。(レビ記19章15節)
貧しい者や弱き者への配慮と共に、モーセ律法の中で際立つもうひとつの点は、公正さである。
賄賂をとり公義をねじ曲げる裁判官、異なるおもりで不正な利をむさぼる商人、正当な賃金を惜しむ雇い人等、聖書には様々な不正が描かれている。
私が上記の御言葉を読んで一番に思い浮かべるのは、イエス・キリストの裁判を行った、時の総督ポンテオ・ピラトである。
ピラトは、イエスに罪がないことを認めながら、十字架につけろと叫ぶ群衆の声に負け、イエスを死に引き渡した。
彼が何より恐れたのはローマの皇帝であって、ユダヤで暴動が起きることにより、自らの地位を失脚することを恐れたのである。
私たちも、自分の立場が危うくなるような状況においては、強い者の声の方に聞き従ってしまう弱さがあるのではないか。
ともすれば相手の立場や能力によって態度を変えたり、弱い者の言い分を軽んじたりすることはないか。
神は裁判のみならず、生活のあらゆる場面において、隣人に対して公正であれと命じておられる(35-36節参照)。
聖書の御言葉はいつも私たちのあり方を問い、戒めるものである。
神の御子がこの地上において、いかに公正で憐れみ深くあられたか、改めて思いを馳せたい。