金沢聖書バプテスト教会

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御言葉メール938

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御言葉メール938

2018年7月6日(記:辻嵐桂子)

神は、むかし先祖たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。(ヘブル人への手紙1章1-2節)

聖書には、旧約聖書と新約聖書がある。周知のことであるが、旧約聖書はキリスト以前、新約聖書はキリスト以降に書かれた。
旧約聖書は、およそ紀元前1500年から千年にわたって、イスラエル民族の歴史を通して与えられた、神の啓示である。
そこには、律法やメシヤに関する預言が含まれている。
新約聖書は、イエス・キリストの死後数十年の間に書かれた、イエスについての証言であって、それは27通の書簡からなっている。

イエス・キリストの十字架の贖いによる救い(すなわち福音)は、新約聖書の中に明らかにされている。それ故、人が救われるためには、新約聖書だけあれば十分と主張する人たちもいる。
しかし、新約聖書は旧約聖書を土台としているということは明白である。
上記の御言葉も、神の救いの御業が、新旧約両時代を通じて一貫しており、両者が連続性を持っていることを示している。
かつてイスラエル民族に、律法や預言、また神の民の歴史を通して啓示されてきた神の救いが、受肉した神の御子によって成就され、今や、私たち異邦人にももたらされたのである。

旧約聖書を知らなくても、人が救われることは可能であろう。
だが私自身は、旧約聖書の啓示なしに、このような卓越した神を知り得たであろうかと思う。
私は、旧約聖書を通して、この世界を創造し、自然も、歴史をも支配しておられる神の存在を知り、それまでの世界観、価値観、正義や良心さえも、全て自分本意な空想(偶像)に過ぎないことを思い知ったのである。

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