御言葉メール951
2018年10月20日(記:斉藤文子)
「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」マタイ5の6
満ち足りる、という状態を私達は日々の生活で経験しているでしょうか。欲しいものが手に入った時、また問題の解決をみた時に私達は満足を味わうでしょう。しかし次に欲しいものが出てきたり問題が起こる時、満足感はすぐに吹っ飛びます。
私達が満足するために求めている者は、いつも自分の幸せです。欲望といってもいいでしょう。それは次々と変わるので心満ち足りた状態を保つ事は難しい。
ところがイエスキリストは、そんな私達に満ち足りた状態になれる、といわれる。それはどの様にしてか。自分の幸せを求めては決して満ち足りる事はないですが、神の義を求めるなら満ち足りる。しかも飢え渇くほどです。
自分の中に義しさを見出せない者が、イエスキリストを信じる事によって救われて神の義しさにあづかる。罪人でありながら義人とみてくださる神を教えられつつ生活する時、義しい神が自分を赦すために身代わりのイエスを裁き殺すほど自分を愛されていることを教えられるのです。
この神の義を知らされると、更にその恵みを知りたくなる。知りたくて飢え渇くほどになる、というのです。不思議なことに求め続けながら、そこには常に満足がある。自分の幸せではなく神の義を求めるという状態そのものが満ち足りた状態なのでしょう。いろいろな問題や不安、病等の中にあっても、義を飢え渇く満ち足りた状態の中に、どうか私達がいつも居れます様に。