御言葉メール981
2019年6月7日(記:斎藤文子)
「神のわざを行うためには、何をすべきでしょうか。」イエスは答えられた。「神が遣わした者をあなたがたが信じること、それが神のわざです。」ヨハネ6の28、29
冒頭の聖句は、ユダヤ人がイエス様に質問しているのですが、この質問の背後には、何をしたら神に受け入れられる者になるかという思いが根底にあります。ユダヤ人は神の御心である律法を持ち、それを行うことで神に受け入れられる、と信じていました。しかしそのユダヤ人にイエスは言われます。神が遣わした者、即ちイエスを信じる事が神に受け入れられる事だと。言い換えれば人間のどんなわざも神の救いにあずかるには足りない。いましめを守り、人間のあらゆる努力、能力、善意では神の基準に達しえない。人間の側からは、神様に受け入れられ救われる方法は全くないのです。人が神の救いに預かり救われ永遠のいのちを戴くために、人間の側から神に歩み寄ることはできない。ただ、神が用意してくださったイエスキリストを信じる、という方法によってしか、人は永遠のいのちの中に生き、永遠に神と共に住まう事はできないのです。
ユダヤ人は律法を守るという行いによって義しいとされるわけではない事を知る必要がありました。神が遣わされたイエスを信じることが求められたのです。
神の業であるイエスを信ずる恵みにあずかる私達は、この立場が、私達の努力や善い行いで得たものではなく、全く神御自身から与えられたものである事を日々、覚え深く感謝したいものです。