御言葉メール10
2021年10月16日
「どうして主は、今日、ペリシテ人の前でわれわれを打たれたのだろう。シロから主の契約の箱をわれわれのところに持ってこよう。そうすれば、その箱がわれわれの間に来て、われわれを敵の手から救うだろう。」第1サムエル4の3
私達は、こんなはずではなかった、という事が起こると失望落胆しながら、どうしてこんなことになったのだろう、と考えます。キリスト者なら何故、こんな事を神様は赦されたのだろうかと考え、自分がもっと慎重だったらとか、もっと祈っていたらとか考え自分を責めたりする事もあるでしょう。勿論、他者を責めることもあるでしょう。
しかしその時にも私達は、思い出す限りの罪と弱さが、すでに十字架上で赦されている事を確認できる幸いがあります。そこを確認して信頼して立つ時、神の全てのご支配の中で今のこの時も、主の最善なのだと信じさせていただけるでしょう。
しかしイスラエルはペリシテ人との戦いに負けた時、神に対しての自分の姿勢を問わないで、主の契約の箱さえあれば勝てる、と考えた。これさえあれば、これさえしてれば大丈夫、という姿勢は、たとえ神を礼拝していても、神のみを信頼していない事を教えられます。神の箱がきても、結局イスラエルは戦いに敗れました。