御言葉メール1126
2022年5月11日
「彼は自分のたましいの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を負う。」(イザヤ書53章11節)
イザヤ書はイエス・キリストの十字架刑のおよそ700年前に書かれた預言書であるが、この53章は、イエスの十字架の苦悩とその意味を如実に、また明瞭に記している箇所である。
ここに記されている通り、主イエスは抗うこともせず、蔑まれ痛めつけられ、十字架上で無惨な死を遂げられた。
ユダヤ人たちは自分たちをローマ帝国から解放し、国を再興してくれるメシアを待ち望んでいた(使徒の働き1章7節参照)。
この世的に見れば、イエスは志半ばで非業の死を遂げた敗北者ということになるのだろう。
しかし、イエスの最期の言葉は「完了した」(ヨハネ19章30節)であり、「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます」(ルカ23章46節)であった。
それはこの地上でなすべき使命を全てやり遂げ、全幅の信頼をもって父なる神にご自分の霊をお渡しになったということである。
イエス・キリストの十字架の死は敗北ではなく、それこそイエスが世に来られた目的であり、神のみこころであって、主はこれによって私たちの罪の贖いを成し遂げてくださったのである。