金沢聖書バプテスト教会

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たねまき1〜6

たねまき6 エホバの証人から救出されて6

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たねまき Vol.6


エホバの証人から救出されて6






 草刈先生とお会いして二日目、私は「もし、話し合いをしてみて、やっぱりエホバの証人の方が正しいと分かったら、また戻ります。」と確認して、なるべく頭も心も白紙の状態で、草刈先生の話を聞こうと決心しました。



 草刈先生は、まず「ものみの塔」から話されました。先生は、私が見たこともないような古い号を、資料としてたくさんお持ちで、私はとても驚きました。エホバの証人は、「ものみの塔」の中で、自分たちの主張が正しいことを裏付けますのに、世の中で見とめられている権威を良く使うのですが、(例えばどこそこ大学のなんとか教授とか、何々百科辞典とかによると・・・と引用します。) エホバの証人は、絶対に正しいと信じて疑わないので、それらの文章が正しいかどうか調べようとは、誰も思ったこともありませんでした。ところが草刈先生は、「この引用が正しくなされているかどうか調べてみましょう。」とおっしゃって、実際その文章がのっている本や,辞典を開いて見せてくださいました。すると,確かに引用された部分はあるのですが、それが全体の意味からすると、まったく逆のとり方がされていたり、エホバの証人の主張に合うところだけが使われたりして、とても正しく引用されているとはいえないものでした。それでも、エホバの証人としての気持ちが強かった私は、「これは、引用の仕方が少し間違っているだけで、エホバの証人の教義が間違っているわけではない。」と自分に言い聞かせて、草刈先生に悟られないよう平静を装っていました。



 次に先生は、エホバの証人の主要な教義の一つである、1914年の算定について話されました。私は、それまでこの数字は聖書の中から導き出されたと教えられていましたし、自分でも、聖句を開いて確かめてもいました。草刈先生は、まず、エルサレムの崩壊が、エホバの証人のいう西暦前607年ではないことを示されました。考古学上の研究が進んで10年近くずれていると言うのです。けれども、エホバの証人の見方しかできなかった私には、この世の常識よりも、エホバの証人からの情報の方が、よほど信頼できるものでした。それほど驚いていない私を見て、草刈先生は、次にとても古い「ものみの塔」を出されました。そこには、当時の代表者のラッセルが、ピラミットの構造上の数字から1914年を考え出したことが書かれていました。ピラミットは、まさに異教の遺跡です。これは、私も目を疑いました。そんな昔の「ものみの塔」は、見たこともなかったし、ラッセルが、そんなエホバの証人が一番嫌う考えを持っていたとは、聞いたこともありませんでしたから、私は、これが本当なら大変だと、少し焦り始めました。それでも、動揺していると悟られたくなかった私は、平気な風を装っていました。



 そんな私を、主人や両親は、このままでは間違いに気付かず、エホバの証人から救えずに終わるのではと、気が気でなかったようでした。でも、草刈先生は,少しも態度を変えず、相変わらず静かで穏やかな笑顔を向けてくださっていました。私は、心の中で「エホバ、助けてください。正しい見方をさせてください。」と必死に祈りつづけました。



 草刈先生は、他にもたくさんの資料を見せてくださいました。多くの古い「ものみの塔」や、見たこともない出版物、歴代の代表者に関する切抜きなど、草刈先生がこれほどたくさんのものを集め、調べられたのかと思うと、なぜそこまで一生懸命になれるのだろうと、驚き、不思議に思いました。また、草刈先生は聖書から、ものみの塔の教義がおかしいということを示すことは、ほとんどありませんでした。資料で使われている聖句を一緒に開くぐらいで(しかも新世界訳を使って)、後は、ものみの塔の出版物だけを使ってくださいました。今思えば、それは私にとても良かったと思います。まだまだエホバの証人の見方が強く、この世の物には信頼していなかったので、聖書といえども、ものみの塔のもの以外は受け入れることはできませんでしたし、どの聖句も全てエホバの証人の見方でしか読めない状態でしたから、たとえ聖句からとらえ方の違いを指摘されても少しも伝わらなかったでしょう。むしろ、ものみの塔の出版物だけを使って、その中でおかしなところや矛盾する点を指摘されると、ごまかしができなくて、変だなと思わざるを得なかったのです。



 こうして、少しずつ少しずつものみの塔に対する疑いが大きくなってきて、それでもなんとか理由をつけてエホバの証人を守ろうとしてきた私は、最後に草刈先生が出された、ものみの塔出版のギリシャ語―英語の逐語訳聖書によって、大きなショックを受けました。もちろん私はギリシャ語は分かりませんが、一つ一つの単語を英語と比べて行くと、明らかに訳の違うところがあるのです。しかも、冠詞のないセオスという言葉を、a got としたり(ヨハネ1:1)、God としたり(ヨハネ1:6、12、13)、Lord(主)を「エホバ」に変えていたり(使徒7:59、60、啓示1:7,8)と、ものみの塔の教義に合わせて書き換えているとしか思えないところばかりだった(ものみの塔では、エホバが神、イエスはエホバの初子であり、御使いの頭だった)のです。聖書は神の言葉と信じ、ものみの塔は、その神の言葉を最も大切にしていると思っていた私は、やっと「間違っていた」と自分の気持ちを素直に認めることができました。



 その「間違っている。」と言う思いを「確かにそうだ。」と言う確信に変えたのは、マタイ20章の、ぶどう園の主人と働き人の例えでした。エホバの証人の時、この最後に来た働き人がエホバの証人で、昔からのキリスト教の人々がいくらひがんでも、私たちこそがエホバ神に選ばれ、楽園へ行く者だと教えられていました。それは、イエスの生涯をまとめた「最も偉大な人」と言う本を,聖書研究と言う集会で学んでいたときでした。私は、それでも全ての働き人が「1デナリ」ずつもらっているのだから、じゃあエホバの証人以外の世のキリスト教会の人々も楽園に行ってしまうのではないかと思い、質問しました。ところが、司会者だった方も、長老も、古いものみの塔誌も、答えを出せなかったのです。結局、「もう少し聖書の理解が深まって、エホバの証人として成長すれば、分かるでしょう。」といえわれて、そのままでした。そのときは、絶対に変だなあ、と思ったものの、それよりも、他の誰も「変だ」といえわなかったことの方が不思議でした。でも、私はその驚きを自分の奥底に押し込めて、忘れたふりをしていたのです。それが、草刈先生との話し合いの中で、答えが見つかりました。神様は、長く働いても、短い間でしかなくても、同じようにお約束を果たしてくださるのです。神様のところへ行きさえすれば、少ししか働けなくても、天国へ入れてくださるのです。私は、今こそ神様が私のぶどう園で働きなさいといってくださっているのだと思い、「エホバの証人をやめます。」と、口に出していうことができました。



 そして、その自分の声を聞いて、ここまで来るのにずいぶん時間がかかったけれど、神様は私の祈りを聞いてくださった。という喜びと、やっと楽になったと言う気持ちでいっぱいになりました。







<次号へつづく>

(金沢聖書バプテスト教会員 主婦)

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