「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」(ローマ3の18)
この聖句はよく聴かれると思います。人は、個人伝道を受けられた時、この言葉によって自分がどのようなもであるかを示され、キリストによる救いが必要だと納得し、信じてクリスチャンになられた、という経緯を辿る人が多いかと思います。この聖句は、世に存在する全てのが神の御前において神の義ときよさに相応しくないとする理由を述べているのです。
ですから、この世において人間同士が比較し合って、「あの人より私はまだましだ」「そんなに悪いことをしているわけではない」と言い合うものではありません。凡て世に属するものは神の前に裁かれるしかない存在となっているというのです。ですから「クリスチャンにとってそれは悪いことであっても、神を信じていない私は悪だとは思わない」という表現はある意味で正しいといえます。
しかしこれは、神を恐れない姿そのものです。だからこの世は、創造主にして支配者、主権者なる神によって裁かれるしかないのです。このように神の義の基準(神の律法)と裁きは、人の考えで(世の常識)で、良し悪しが判断されるものではないのです。
御言葉メール414
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