金沢聖書バプテスト教会

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野の花セミナーの事例発表

岡崎での野の花セミナー1

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岡崎で行われた

野の花セミナーでの事例発表1







 私は、金沢教会の牧師であると言う事の為に当教会で【精神障がい】を負っている人について、特に「統合失調症」について、当教会の公の紙面を用いる事をためらってきました。何故なら、自分の娘がその【障がい】を負っているからです。何故なら週報などの公の紙面は、個人的な事柄に用いられてはならないと考えていたからです。「結局牧師は、自分の家族の為に週報を用いている」と言う批判と誤解を避けるためでした。



 しかし、娘も一人の教会員であり、【精神障がい」を負っている人に対する理解を深める事は、教会の今日的課題として大きいと考えるに至りました。そこで、自分の娘の例を中心に障がいを負っている人に対する偏見を無くす機会となるならば幸いと思い、これから何回かに分けて、岡崎で行われました「野の花セミナー」での事例発表を掲載します。



 精神障がいは、一言でくくれない様々の障がいがあります。私は、他の障がいについても多少理解するための学びをしておりますが、特に娘との関係で「統合失調症」という精神障がいが中心となる事を理解して頂きたいのです。



 しかし、他の精神障がいと共通するところが多いのも事実です。また【精神障がい】について理解して頂く事柄の中には、身体的障がいを負っておられる方々に対しても必要な理解(共通項)すべき事柄があります。



 第一回目は、言葉(話しことば)の持つ力について考えてみましょう。



 語り言葉は、大きな影響を与えます。【精神障がい】が、【障がい】として現れるところ、つまり場面は、人との関係において現れる【障がい】だという事が特徴ではないでしょうか。つまり対人関係において受けたり、与えたりする【障がい】だという事が出来るでしょう。これは、ほとんどの【精神障がい】の特徴と思われます。



 例えば娘の病気名は、「精神分裂病」から「統合失調症」と代わりました。言い方が代わっただけだと思われるかもしれませんが、当人やその家族にとって、それは本当に大きな違いであり、問題となるところなのです。



 「精神分裂病」という病名は、何か精神が分裂しており、何を言っても分からない、又何をしでかすか分からない、といった恐れさえ感じさせる病名でした。しかし、この「統合失調症」という病名は(この病名も問題が全くないわけではありませんが)、本人もまたその家族においても他の人に説明しやすく、同時に自分の障がい名を紹介しやすくなった事も事実です。



 私たちも人の話しことばで傷つきもし、励まされもします。悪意ある中傷の言葉もあれば、人を誉め、やる気を出させる言葉もあります。心を冷たくして絶望を与えてしまう言葉もありますが、人の心を温かくし、力づけて望みを与える言葉もあります。愛を冷ます言葉もあれば愛を燃え立たせる言葉もあります。そのほかにも言葉に力があることを体験する例はたくさんあります。



 ですから、私たちは語り言葉に十分注意をしなければなりません。私たちは、この言葉によってどれだけ多くの人を傷つけ、悲しませ、誤解と争いを引き起こしてきた事でしょう。そしてその人の人柄は、話す言葉と内容であらわされます。



 聖書は、ヤコブの手紙で舌がどれほど罪を行うか、また神に背いてきたかを語ります。3章8〜10節「しかし、舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません。」



 しかし、主イエス様はそのお言葉一つで病を癒され、悪霊を従わせられ、いのちを吹き込まれてご自身がいのちの主であることを証明されました。また父なる神は、そのお言葉で全てのものをおつくりなったのです(創1章・2章)。



 【精神障がい」を負っている人は、人の言葉に敏感に反応し、【障がい】の症状が顕著に現れる【障がい】であると言うが出来ます。【精神障がい】は、対人関係の【障がい】なのです。

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