御言葉メール 89
2005年6月8日
「主よ。人とは何者なのでしょう。あなたがこれを知っておられるとは。人の子とは何者なのでしょうか。あなたがこれを顧みられるとは。人はただ息に似て、その日々は過ぎ去る影ようです。」(詩篇144篇3〜4節)
私は、最近とても不思議な感覚に囚われる事があります。それは、車で緑深い山の間を縫うようなハイウェイをスピードを出して、走っている時です。全てを包み込み、呑み込んでしまう深い山々、太陽が眩しく照りつけ、空は何処までも続いていて青い、神は全てを見通しおしてられます。
人はどうあがいても、この地球の地面を這うだけで、神の創造された中で最も弱く、罪深い人とは何とちっぽけな存在なのでしょう。このちっぽけさを忘れた愚かさ!己が何か偉い者になったかのように、また偉い者であることを世に認めさせ、己自身に―我、ここにあり!―
との自我の為、人と比較し、或は誇り、あるいは争い、嫉妬し、怨み、妬みながら地面をはいずる破壊者。なんと愚かなんでしょう。こんな思いが、私の中に湧くのです。しかし神は、なんと賛美されるのにふさわしいのでしょうか。
すべての創造者にして、支配者なる神が、こんなちっぽけな人を知っていて下さり、顧みて下さるのですから。しかもその独り子を犠牲にするほどに愛して下さるとは!神の偉大さは、その力大きさもさることながら、憐れ深さはなんたることでしょうか。神を誉め讃えます。
御言葉メール 89
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