金沢聖書バプテスト教会

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毎日がキリストの贖いを覚えるデボーション

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毎日がキリストの
贖いを覚えるデボーション









 旧約に次のような一節がある「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある」(伝三章一)。これは、「すべてのことが神の御手のうちにあって、神の預かり知らないことは何一つ起こらない」とのメッセージです。神は、全てに妥当性を与えて私たちの生活に「時」というリズムを与えられたのです。



私たちの基本的であり、生理的生活リズムは、昼と夜の関係でした。そして次に神を礼拝すると言う宗教的リズムです。私たちは、神によって創造されたものですから、堕落によって真の神を知ることや神に喜ばれる事は、思いにおいても行為においてもできない者となりました。しかし、人には宗教心があり、宗教的行事(祭儀的行為)をします。これは、全て「時期」と「時」との深い関係を持っております。この「時期」と「時」を逸してしまうと、その全ての営みが意味をなさなくってしまいます。



 では、クリスチャンにとっての「時期」と「時」は、どのような意味を持つものなのでしょうか。イスラエル民族は、毎日は神と神の民との歴史を、思い返す縮図と捕えておました。毎晩、イスラエルの人々は、エジプトの奴隷生活から脱出した時の裁きとしての暗い闇と死の叫びを思い出すのです。そうして毎朝、出エジプトの旅立ちを思い出すのです。それを現在も起こっているかのように受け取り、毎日の朝晩の祭儀(犠牲の献げ物=出二九章三八〜四三)で、神の歴史的救済の出来事を記念したのです(1)。更に捕囚時代には、エルサレムの神殿において犠牲が献げられなくなり、犠牲の代わりに祈祷の時刻を決めて、神に祈って記念して(ダニ六章十一節、詩五五篇十八節)いたのです。



 この習慣は、キリスト教信仰にも引き継がれていきました。イスラエルが、エジプトでの奴隷状態から、脱出できた前の晩に子羊がほふられ、その地が鴨居に塗られ、神の裁きが免れたという神の恩恵を、真の神の子羊であるイエスの十字架の死、イエスの血による新しい契約の印を思い浮かべ、感謝する夕べの祈りがあります。

又、それと同時に毎朝、イエスの復活、(死に打ち勝った)永遠の勝利を覚えて、新しい朝を迎える事のできた、感謝の祈りを献げるのです。このように毎日が、神の犠牲とキリストの復活をもって、新しい朝を迎えられた感謝を覚える時なのです。



 ですから、夜の礼拝は、キリストの言葉が闇夜を照らし、目覚めているキリスト者に、力を与え、励ますことを目的としています。しかし、夜は、同時にキリストによる復活の勝利を待ち望むように夜明けを待ち望むのです。そのためにキリスト教徒にとっては、毎夜は、死を通してのいのちへの旅であり、復活への待望を記念します。これが、毎日の礼拝行為(デボーション=黙想・静思の時)なのです(2)。



(参照文献(1)「教会暦」四七頁・(2)四八頁)


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