御言葉メール165
2006年3月1日
「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。」・・・そこで、イエスはパンを取り、感謝を捧げてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。」(ヨハネ6の9〜11)
私達は、先ず自分が満たされていなければ、何も始まらないと考えています。健康でもお金でも、そして精神面でもそうでしょう。その結果、自分のものになるまで求め続けないではおれません。
ある時は、苦しみながらも際限なく奪うのです。お弁当の5つのパンと2匹の魚をイエス様に差し出した少年も、お腹が空いていたでしょう。しかし少年は、自分が食べて満腹になるより、イエス様のところへ持っていきました。そうしたら、一万人を超す群集が食べてなお残りました。これは何を意味するのでしょう。自分のお弁当を差し出した少年のように、私達がこだわっているものをイエス様に「お任せします」「お使い下さい」といって手放す事です。
その時私達は、多くの物を手にする事によって得る満足ではなく、手放す事によって豊かにされる人生があることに気づくでしょう。イエス様の手に渡されたお弁当は無くなったのではありません。何万倍にも増し加えられたのです。限りなく奪う人生しか知らない私達に、与えれば与えるほど豊かにされる人生を教えて下さるのはイエス様だけだと知るのです。
御言葉メール165
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