御言葉メール258
2007年2月14日
「私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。」(エレミヤ15の16)
私の母教会のある特伝の時、講師は故杉浦先生でした。先生のメッセージが終わった時、牧師が突然に「私はまだまだ先生のお話を聞きたい、皆さんはどうですか」との問いかけに、会衆のアーメンの声と共に、戸惑いながらもうれしそうに、杉浦先生が再度、講壇に立たれた事を思い出します。
この聖書の言葉をずっと聞いていたい、みことばを聴いて、はちきれんばかりの恵みを覚える時、時間や後の予定以上に大切なものとして心に迫ってくるのでしょう。私はその牧師の姿勢に、キリスト教会はみことばを聴きたくてたまらない人によって導かれるのだ、と勝手に納得しました。過去の信仰覚醒といわれるリバイバルを見ると、常軌を逸した、みことばに対する飢え乾く思いを持った人が必ずいます。
みことばを見出しそれを食物としなければ生きれない、と告白する人達です。私自身そういう恵みに預かりたいと切に祈らされます。どうか私たちの楽しみと喜びのもとである、みことばを求める内的欲求に満たされます様に。
御言葉メール258
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