御言葉メール290
2007年6月6日
「また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。」(マタイ7の3)
この世には、政治から家庭のしつけに至るまで批評家がいます。更に巷には、悪質なにわか批評家が満ち溢れています。彼らは、他人の弱点や誤りをあげつらいます。そうすることが正しい、と確信さえしています。彼らは、人を批評する事は、人を改善させ、向上させると思い込んでいます。
しかしそのような彼らこそ、人から批評される事を屈辱に感じ、評した人を口汚くののしります。そしていつまでも忘れません。もしキリスト者が、この様な人と同じ考え方、同じやり方を教会に持ち込み、人を正し、成長させるために必要であると考えているならば、本当に愚かです。その人は、自分の期待に応えないキリスト者や、こちらの思うように事を運ばない牧師のあら探しをします。
それは、理にかなっており、自分の批評が、教会やクリスチャンを良くしていると勘違いしているのです。このような慈父から来る自己義認が、人を裁くという事です。キリストは、その様な人を「偽善者たち」と呼びます。それが冒頭のイエスからのキリスト者への忠告です。
御言葉メール290
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