金沢聖書バプテスト教会

金沢聖書バプテスト教会は、神の愛とキリストの贖いと聖霊の導きによって真の神様を礼拝する者の集まりです。あなたを心より歓迎します

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御言葉メール280

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御言葉メール280
2007年5月2日
「神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネ3の17)
私の一人の恩師故・杉浦先生は、「私は気でなく、心を使います。何の問題も有りません。」とのご返事を下さいます。この言葉にいつも教えられ慰められました。先生は、「ねばならない」ではなく「したいからする」という、律法からの解放を言われていました。クリスチャンの自由を思い出させてくれます。
しかしほとんどの人は、この「ねばならない」の下にいます。では、どうしたら「ねばならい」から「したい」に変わるでしょうか。イエス様は、決して苦しみの死を願っておられたわけではないでしょう。しかし自ら十字架に向かわれました。イエス様は、死ななければならなかったので、嫌でも仕方なく、十字架に付かれたのでしょうか。決してそうではないでしょう。
イエス様の何よりの願いは、私たちが救われ、神の子とされることでした。その時のイエス様の心は、もはや「ねばならない」ではありませんでした。それ故言える事は、人は何を求め、何を願うかによるということです。もし、自分の気が済むようになる事を願うならば「ねばならない」に陥ります。

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