御言葉メール281
2007年5月5日
「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」(ロマ12の1)
この後の2節は、「献身」とを教える重要な箇所です。ここには、私たち自身を、神への生きた供え物として奉げるという事が勧めれられ、それが「霊的な礼拝」だと教えます。「礼拝」は、単なる儀式的な礼拝ではありません。
それは、12章全体が信仰者として如何に生きるべきかという事が述べられています。そして、この「霊的な礼拝」と訳された原意から見た礼拝は、「神の僕(奴隷)として働く」という日常生活の有り方が教えられています。続いて3節以下に、そのクリスチャンとしての生き方の数々がリストアップされています。リストアップされているこれらのことばを良く見ると、いずれも他者との関わり方を示していることばです。
従って「献身」という生き方は、自分自身を神に献げるという事ですが、同時にそれは他者との関わりの中にどう生きるかということを意味すのです。そこには、自分にとっての得損や気分に関係しないようです。ですから、まず「私が、私から、立場が」という自己中心は止めたものです。
御言葉メール281
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