御言葉メール276
2007年4月18日
「どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。」(ローマ15の13)
毎日の生活は、心配や不安の種が次から次へと芽を出してきます。どんなに多くの心配や不安を経験して生きてきても、学習したり慣れたりできないのが、心配や不安のようです。「心配する」というギリシア語の語源は、「心が分割する」という意味だそうです。「考える」事は私たちの生活に方向性をもたらしますが、心配する事は、私たちの日常を破壊する力にもなっていきます。私たちに必要なものは「望み」です。
どんなに頑張っても自分で望みを持ち続ける事はできません。むしろ、頑張れば頑張るだけ、自分の力のない事が見えてきて、失望と不安に飲み込まれていきます。しかし、望みの神は、あなたや私に信仰を与えてくださいました。不安の最中でもキリストを信頼しようと聖書のことばに聞く時、イエス様が私達の心に望みを与え、喜びと平和で満たしてくださるのです。自分では作り出せない望み。「望みの神」は心配の中でもその望みにあふれさせてくださるでしょう。
御言葉メール276
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