御言葉メール372
2008年3月19日
「柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。」(マタイ5の5)1
この世は、イエスのこの教えと全く逆です。「柔和であると損をする。そんなに甘くはない。負け組みになってしまう」といって、傲慢や厚顔を当然としています。柔和は非現実的なのでしょうか。柔和が幸いだと言うためには、自分に対して「心の貧しい者、悲しむ者」であるとの認識がなければ、到底受け入れることはできません。
この人らは、自分と他人と社会に対して、真に絶望しています。その人は、自分の力でクリスチャン生活をやっていけるという自信のない人です。それでよいのです。私たちの信仰は、いろいろな宗教や教えの中から、キリスト教を自分で選び取ったものではありません。考えられないことですが、十字架に付いて死なれたイエスを救い主と信じる事ができたのは、一方的な神からの賜物です。
そして柔和も生まれつきの性質のことではありません。キリストによって新たに造り直されなければなりません。ですから自分に失望している人は、幸いなのです。何故なら、自分の力に頼らないからです。その人は、神の前に謙って柔和させられている幸いな者だというのです。
御言葉メール372
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