御言葉メール396
2008年6月25日
「私たちの負いめをお教しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」(マタイ6の12)
この祈りは、主の祈りの第5番目です。ここでは「私たちが神に請い求める赦し」と「私たちがお互いに与える赦し」とは、密接に関係にある事を言っているのです。この関係は、マタイが5章7節で「あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです」とあわれみ深い者の祝福について、語ったところです。
即ち神の赦しの事実は、私たちクリスチャンにとって、人と人との関係で赦しを拒否する生き方はふさわしくない、と言っているのです。真に神に赦されていることを知った者は、人を赦すに何の障害も無いのです。人を真に赦すとすれば、神がその者を更に祝福し、赦しを与えて下さらないことはないということです。最近、本当に凶悪な犯罪が多発し、犯罪を憎み犯罪者を憎みます。
そのような時、この人を赦してなるものか、赦してよい理由がない、と心は叫びます。しかし、キリスト者は赦してよい根拠を持っています。ましてやあなたの隣人を赦さなくて良いわけなどないのです。そして赦す心はあなた自身と隣人に平和を与えます。
御言葉メール396
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