御言葉メール425
2008年10月11日
「ああ、私に、生ける者の地で主のいつくしみを見ることが信じられなかったら。−待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主よ。」(詩篇27の13,14)
旧約聖書の「詩篇」は祈りに満ちています。人間の呻き、叫び願い、感謝、喜びが包み隠さず神様に、言い表されています。私は詩篇を通して、もやもやとした思いを言葉にする事を学んだ様に思います。
私の言いたいこと、祈りたい事はこういうことなんだ、と何度、胸のつかえがおりたようなスッキリした思いで「神さま、ここの祈りは私の今の呻きです」と祈った事でしょう。冒頭の祈りはダビデが敵との戦いの中で、神様への信頼を現している詩篇の一節です。求めるのは主の恵深さだけである、と告白する著者は、逆境の中でも主を求めようとします。
この祈りに、私は信じたいと願いながらも信じられない、また不安や恐れ、疲れの中に閉じ込められて、どのように祈ってよいかわからない時に、このように祈ればよいのだ、と教えられます。自分の心に、それでも主を待ち望む事を教え期待できるようにと祈らされます。
御言葉メール425
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