御言葉メール440
2008年12月6日
「誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」(マタイ26の41)
ぺテロは自分の熱心さで、イエス様のために死ぬ事が出来る、とまで言い切ります。その思いにウソはなかったとしても、イエス様を信じ、主のために生きようと願う熱心さは自分の内から出ては来ない、という事は知らないといけないのでしょう。
それを知らないと、イエスを信頼し従う熱心さをもっている自分自身を誇り、イエス様に祈り助けを求める必要を覚えなくなります。これが誘惑です。イエス様の「祈りなさい」といわれる言葉も忘れて眠ってしまうペテロを初めとするお弟子さん達は、そのような状態だったのでしょう。イエス様を信じ従う熱心は、神様から 一方的な恵として与えられます。
神様に向かって祈る時、それがわかります。イエス様はどんな事でも目をさまして祈り続けなさい、と言われますが、私は祈る事よりも先にしなければならない事がある、と思ったり、祈る事が面倒になったりします。そういう大きな誘惑が日々あります。どうか主が助けて下さいますように。
御言葉メール440
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