御言葉メール514
2009年12月16日
「そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです」(コロサイ3の11)
コリントの教会のメンバーは、どの指導者に従うかで割れていました(Iコリント1 : 10〜17、3 : 1〜9)。派閥や党派が作られ、教会の集まりで非常に目立っていたのです(Iコリント11:17〜19)。
しかし、すべての信仰者が一つのからだとなるように一つの御霊によってバプテスマを受けたのですから(Iコリント12 : 12〜13)、そうなってしまうことは、本当に悲しいことです。
パウロは別に「からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召された時、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです」(エペソ4 : 4-6)と書いています。ですから教会の交わりを妨げるすべての障壁は取り除かれているのです。私の心の中にそれを実現させて下さいとの祈りがあります。
御言葉メール514
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