御言葉メール949
2018年10月6日(記:斉藤文子)
「イエスがキリストであると信じる者はみな、神から生まれたのです。・・・」第一ヨハネ5の1~かつて70年代に活躍したフオークソング歌手の吉田拓郎が歌っていました。私は今日まで生きてみました。そして今、私は思っています。明日からもこうして生きていくだろうと」私はこの歌を聞きながら、この歌手は、生きるってどういう事なんだろうという問いを抱えながら生きているのかなあ、とぼんやりと考えていたことを思いだします。
それは私自身が、今生きている意味、そして自分はこれからどうなっていくのかと漠然としかし、消えることのない確かさで考えていたからです。しかし神様を信じてから、聖書のみことばと教えは、私が神から生まれた者であり、この神様が親そして導き手なのだと確信させてくれました。
私達は人間の親によってこの世に生み出されますが、イエスを救い主と信じる時、私達を造られた方は実は神だとわかるのです。それは私達が神によって新しく生まれた瞬間です。
私達が偶然にこの世に存在すると考えるなら、その偶然に意味を見い出す事は難しい。偶然からは自分の生きる必然を手繰り寄せるのはあまりにも虚しい。
全知全能の人格をもつ無限の神によって私達は生まれ愛され、その神との交わりの中に生かされている。生きる意味はここにこそ確立すると信じます。
どの様な人生であっても、他者との比較ではなく、絶対者に向かう歩みであるならば、自分だけにわかる生きる意味と役割が心の中に証として必ずあるのです。