御言葉メール1025
2020年5月9日(記:斉藤文子)
「十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。」第1コリント1の18
人類は、自分の知識、考えで十字架のことばを理解することはできません。即ち私達は例外なく全てが滅びる者でした。十字架のことばは、イエスが罪人である人間の身代わりとして十字架で死なれたという教えです。しかし人間にとって、この言葉はまことに愚かです。
私達は小さい時から教育を受け、自分の理性、知性に合う合理的なものの見方、または合理性とは相反しながらも、自分の願うことが奇跡的にかなったりする不思議さを無条件で受け入れたりする。その底に横たわっているのは、自分の考えを絶対として、それを実現させたいという自己中心です。この自己中心さこそ、十字架のことばを理解させない罪です。この自己中心は知性、理性を身にまとい自分を正当化する。
私は今更ながら思うのですが、もしキリストを知り信じることがなければ、自分がここまで自分中心な者だということは決して理解できなかった。ましてそれが滅びであることをどうして知り得たことでしょう。
ある環境におかれ、不公平、不自由を呪う私を何故か選んで、十字架のことばを聞かせてくださった。滅びの道を歩んでいる者を、神自ら近づいて、人間理性では決して納得できない十字架のことばを信じさせてくださった。
信じてますます十字架の愚かさが、自分の罪を浮き彫りにし、しかし罪のことごとくが赦されきよめられる、という神の力だと教えられます。多くの弱さと失敗にも関わらず、この神の力によって、今私は平安の中に生かされています。