御言葉メール954
2018年11月12日(記:辻嵐桂子)
あなたといっしょにいる民は多すぎるから、わたしはミデヤン人を彼らの手に渡さない。イスラエルが『自分の手で自分を救った。』と言って、わたしに向かって誇るといけないから。(士師記7章2節)
エジプトを脱出し、四十余年の荒野の旅を経て約束の地カナン定住するようになったイスラエルの民は、次第に主を捨て、異教の神々になびいていった。
それ故主は、イスラエルが約束の地を完全に領有することを許さず、民は絶えず周囲の国々の侵略に悩まされた。
イスラエルが悔い改めると、主は士師を起こし、イスラエルを救った。
彼らは、モーセやヨシュアのような民全体を統治する指導者ではなかったが、主に選ばれ、敵を退け、一定の期間、一定の部族を治めた。
上記の御言葉は、その一人であるギデオンが主によって奮い立たされ、当時イスラエルに攻めて来たミデヤン人に対抗しよう、と兵を集めた時に語られた言葉である。
その時集まった兵の数は三万二千人、十三万余の敵兵を打つのに決して十分な数ではなかった。
にもかかわらず、兵の数は最終的に三百人までに減らされ、主はこの三百人でミデヤン人に勝利することで、この戦いが主の戦いであることを明らかにされた。
この出来事は、信仰があれば無謀な戦いに挑んでもよいと教えているものでもないし、私たちが十分な備えをすることを否定するものでもない。
ただ私たちは、何かを成し遂げれば自分の力を誇ってしまうし、想定に対して十分に備えれば、それに依り頼んでしまう。
神である主は、どんなに不利に見える状況にあっても、必ず約束したことを成し遂げて下さること、主が共にいて下さること、それ以上に私たちの歩みを確かにするものはないということを、今一度覚えたい。