御言葉メール 62
2005年3月5日
「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」(エペソ1の4)
私は個人的には旧約聖書がたまらなく好きです。どうしても私自身は、今の自分の現実、或いは少し視野を広げて自分の生きているこの時代、即ち見えるところの枠の中で考えたり判断したりすることしかできません。
しかし、天地創造、人間創造、イスラエル民族の歴史を知る事は、自分の現実が、この21世紀の日本という国の金沢に住んでいる一人のおばさんの、歴史と世界と関係なく切り取られた今、という視点から、天地創造から続く人間の歴史の連続性の中に、自分を位置ずける視点が与えられます。
歴史の中では、点にもならない様な私自身の存在でも、神様によって愛されてこの世に存在させられた、他の何ものにも変えられない自分である事に思いを寄せる事ができるのです。
冒頭の聖句は、ある時私が気になって何度も繰り返し読んだ後「ウソだろう」と、思わずつぶやきながら感動した箇所です。ここでは私達が、偶然にまた突然に誕生した存在ではなく、世界の始まる前に、すでに神の愛の中に計画されていた存在である事がわかります。
どうかこの事が私達を、更に神のみこころを知る事へと駆り立てるものとなりますように。
御言葉メール 62
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