御言葉メール 95
2005年6月29日
「彼らに聞くな。バビロンの王に仕えて生きよ。どうして、この町が廃墟となってよかろうか。」(エレミヤ27の17)
私は自分勝手な思い込みが強い人間だな、と思います。多少、経験があることにおいてはなおさら、経験していない事においても浅はかな知識のみで無理やり決め付けてしまっている事が多い事に、驚きと恥ずかしさを覚えます。
エレミヤがバビロン捕囚を預言しバビロン王に仕える事が幸いである、と言った時、当時の指導者達から猛反発をくらい迫害されます。確かに出エジプトの時、紅海を二つに分けイスラエルを救い出された全能の主がユダヤの神であります。その神がバビロンからも必ず守られる、と固く信じる事はすばらしい信仰のように思えます。
しかしそれは神の御計画ではなかった、全能の神を信じるユダヤが、屈辱の敗戦、捕虜,捕囚となる、という未来こそ神のことばでした。私たちは自分の勝手な思い込みを信仰とまちがえることがよくあります。
どうか思い込みと決め付け、自分の願望から守られて、聖書全体の中から神さまを知ることができますように。ユダヤの国において、災いとしか思えなかったバビロン捕囚を通して、ユダヤはまことの神だけを礼拝することを学び、更に70年後に捕囚から開放され、神だけを崇める民族として祖国建設にとりかかっていくのです。
御言葉メール 95
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