御言葉メール 96
2005年7月2日
「しかし、私は主を仰ぎ見、私の救いの神を待ち望む」ミカ7章7節
親が小さい子どもに、「自分は自分、他人(人)は他人でしょ」と教える言葉を、ほほえましく聞きながら、それにしてもこの事は何と難しいことだろうと思います。
私たち人間は本来、一人一人が神を見上げて生きるものでした。自分は自分、他人は他人などと言わなくても神を見上げることで、他人がどうであろうと関係なく、自分の存在意義ははっきりしていました。ところが罪が入ってから、人間は神を見上げることをしないで、人間同士で見つめあう者になってしまったのです。
神を見上げないでお互いを見つめるしかない人間は、自分に失望し他人を責めるものになってしまいました。そこにあるものは、不安、あせり、怒り、妬み、憎しみです。神を見上げないで生きる人間は、自分のよりどころを持つことができません。その結果は人間関係の崩壊でした。
それではどうしたらよいのでしょうか。私たちは神に造られたのですから神に帰らなければなりません。どのようにして。自分で自分を何とかするのではなく、神であるイエス・キリストを見上げる(知り続ける)事によってです。
その時、あなたや私のうちに、神の愛によって他人とどんなに違っていても恐れることのない自分自身が造られていることに気ずくでしょう。
御言葉メール 96
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