御言葉メール148
2005年12月31日
「いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや。神に、でしょう。」(ガラテヤ1の10)
この一年を終え、新しい一年を迎えようとしていますが、多くのものを失ってきた一年であったように思います。新たな歩みを神のみ前に祈り、始めたはずの一年です。そして日々に多くのものを失う事の不安と恐れ、戸惑いの連続であったように思います。
ある人は、「失う多くのものを持っていると思っているのですか。たいした自信ですね」と言われるでしょう。一体全体、私は何を大切だとしているのでしょうか。誰を何を意識して、過ごしてきた一年だったのでしょうか。主イエスは「あなたがたは今、『私たちは目が見える。』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」と言われたのです。何も無い事が幸いであると、いつになったら心から思えるようになるのでしょうか。
持っている、解っている、という思いが自分自身を神様に向けなくさせているようです。新しい一年こそ、私の心が神に向かって、人の目(思い)を気にしている事から開放されて、漠然と失うこと、恥をかかされることを怖れない歩みをさせてください、と祈らされます。ですから貧しい者である事、悲しみを負う者である事を、神からの恵みと信仰によって過ごしたい。その為にも、失うこと屈辱を受ける事を怖れない平安な一年を過ごしたい。
御言葉メール148
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