御言葉メール254
2007年1月31日
「私たちの咎が、私たちに不利な証言をしても、主よ、あなたの御名のために事をなしてください。」(エレミヤ14の7)
神様にどの様に祈ったらよいかーこれは、イエスキリストという神だけを信じる生活を始めて、日常的に神様に祈る事の大切さを教えられる時、ハタと困惑する問いです。苦しい時、やみくもに何かに誰かにすがる「苦しい時の神頼み」とは違い、神様がどのような方かが少しずつわかってくるにつれて、こんな事を祈ってよいのだろうか、とか、これは神様の御心ではないのではないか、と考えるとなかなか祈れなくなるという事があります。
実は聖書は、そういうキリスト者が神に向かう時の祈りのサンプルでもあります。冒頭の聖句は、エレミヤという人の祈りです。これは、自分や同胞がどんなに悪く、罪を犯していてもその罪によってあしらわないで欲しい、即ち裁かないで欲しいという祈りです。何と自分勝手な図々しい祈りだと思われるでしょう。しかしエレミヤがこのように祈れるのは、神様は罪を赦す方であると信じ確信していたからです。その様な神様のご性質を信頼する時にでる祈りは、結果如何に関わらずゆだねる平安が伴う事でしょう。
御言葉メール254
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